市内→自宅(72.1km)

東加古川駅まで歩き、やってきた普通に乗る。西明石で新快速に乗り換え、三ノ宮で特急に乗る。北口で普通に乗り換えて帰宅する。

明日の出張準備をしながら、昼の疑問がふと浮かぶ。アルバムを探すが、1・2年のころの写真はあまりない。運動会の写真がないのは当たり前で、この当時は児童数が日本最多の2,301人もいて、普通に並ぶだけで校庭(4,400m2)がいっぱいになるので、父母の参加ができなかったのだ。それどころか、ある学年が競技をやっている間、校庭に入りきらない他の学年は教室で授業が行われていた。

アルバムを見ても判明しないので、当時に配られた創立110周年記念特集詩を見る。と、やっぱり当時から女子も短パンだった。この当時、校庭には2階建てのプレハブが3棟立っている。職員室・図書室・保健室があった木造の校舎は、なんと加古川市が市制を施行した昭和25年製である(現在はない)。現在耐震補強工事をやっている北館は昭和46年製、今でも現役な体育館は昭和41年製。当時からあちこちが古くて、1年生が入っていたS42年製の南館も窓が鉄製で、1年生の力では開閉ができなかったことを思い出す。まあ、そんな古い学校だったけれども、結構楽しい2年間であった。転校してからがイマイチだっただけに、余計にそう思う。