新宿→秋葉原→羽田空港

新宿駅へ急ぎ足で戻り、秋葉原へと向かう。中央快速線はこの時間、もう混雑し始めている。御茶ノ水総武線各駅停車に乗り、秋葉原で下車する。秋葉原駅の改札口には、「歩行者天国は当分の間中止します 万世橋警察署」という看板が出ているが、駅前はいたって平静である。駅前ではメイドさんがビラを配っていたりするし、騒がしい、いつもの駅前である。

私が秋葉原へ初めてきたのは、平成元年の4月2日である。小学校を卒業して、春休みにどこか遠くへ行くか、ということで、一人で大垣夜行に乗って東京へやってきた。杉並区の親戚や交通博物館や東京タワーなどへ行った。当時の秋葉原は、無線ブームなどが終わって主役がマイコン→パソコンに移り変わるころであった。その後、Windows95のブームがあり、PC-AT互換機による自作PCブームがあってPCパーツ屋が乱立し、昨今は「萌え」が流行なのか。いずれにせよ、秋葉原は戦後ずっと、オタクの街であった。学生時代に東京へ来た時には必ず立ち寄っていたし、神奈川に住んでいた時には休日出勤を早めに切り上げてよくやってきた。東京で一番なじみのある場所、と言ってもいいだろう。

それだけに、7人もの人が殺される凶行の舞台となったことの衝撃と悲しみは、大きいものがある。当日の日記にも書いたが、私が被害者になっていた可能性も十分あったと思う。

神田明神通りとの交差点まで行く。ここが犯行現場なわけであるが、街の風景は以前と何も変わらない。通りを渡って、しばし交差点などを眺める。傍ではソフマップの店員が呼び込みをしながらビラを配っている。この位置から10mも離れていない場所で、多くの人が亡くなった痕跡は、都会の喧騒にかきけされてしまっている。手を合わせて祈る。公的にやるなら、無宗教な黙祷がいいだろうが、私は敬虔な仏教徒である。極めて私的に、祈りをささげさせて頂く。都会の騒音が聞こえなくなる。死者との深い断絶と、無念を感じる。

通りを渡ると、日通秋葉原支店跡の前の歩道に献花台が設けてあった。千代田区が設置したもののようだ。花や千羽鶴、多くの飲み物が捧げられている。花は用意してきていなかったので、近くの自販機でジョージアMAXコーヒーを買い、哀悼の意を表する。誰かが置いたであろう、ノートが設置されている。ちゃんと、表紙には転載・引用を禁ずる旨が書いてある。中には多くの人の思いがかかれている。4行ほど、書いて見る。

あまり今日は買い物をする気がなかったのだが、ここに来るまでは秋月には寄ろうと思っていた。だが、実際にここへきてみると、とても買い物をする気にはなれない。まっすぐに帰ることにする。途中に、犯人が取り押さえられた廣瀬ビル北側の路地がある。交差点からここまで、走れば10秒ほどであろうか。交差点で人を跳ねてから取り押さえられるまで2分ぐらいしかなかったらしい。こんなテロ行為は、防ぐのは不可能だ。ダガーナイフを規制してみても、歩行者天国を廃止しても、気休めにもならない。いまそこに、そういう危険がある事実を直視し続けなければならないのだろう。


山手線に乗り、浜松町で東京モノレールに乗り換えて羽田空港へ向かう。