大門→浦賀

16:30になって仕事場を出る。第一京浜に突き当たって横断歩道を渡らずに地下鉄へ降りる、と、押上方面行きホームの改札が。浅草線や銀座線は建設が古く、土かぶりが浅くてB1Fがホーム階のことが多い。うっかりしていた。切符を買おうとするが、横須賀まで900円以上もする。途中で気が変わった時のために少し短めの区間で切符を買って改札口に入る。と、反対側に泉岳寺方面行きの電車が入ってくるのが目に入る。ホームから下の連絡コンコースに降りる。見覚えのある大江戸線デザイン。ここは、オペラシティで仕事をしていた時に会社へ戻るのに何度も通った。京王深線新宿から大江戸線に乗り換えて大門に到着し、浜松町へ行くと下りのモノレールが終わってて、やむなくタクシーで天王洲へ向かったこともあった。そんな思い出を胸に秘めながら反対側ホームへ。しばらく待ってやってきたのは西馬込行き。直通じゃないのか、と思いながら泉岳寺に到着すると向かいには2000形三崎口行き快特が。

なんと、奇跡的に助手席側のかぶりつき席が空いており、迷うことなくgetする。16:49に泉岳寺を発車、悪い線形を進みながら品川駅へ高架を上がっていく。昔に比べるとC-ATSが導入されたためか、ブレーキ扱いにだいぶ余裕がある。品川を発車するとき、八ツ山のカーブまでの間で猛然と加速し、ノッチオフ直後にブレーキをかける運転は京急らしいものであった。北品川を通過して加速、新馬場あたりからの鮫洲カーブの減速も、だいぶ余裕がある。C-ATSは軌道回路伝送であるが、同時に1情報しか送れない。そのため、閉そくの現示変化とカーブが介在する場合に「やみうち」と呼ばれる現象が発生し、導入直後は相当ダイヤ乱れが発生したそうだ。

京急蒲田手前で踏切の特発が現示しているのが見える。それでもブレーキをかけないのがKQらしいところだ。蒲田を出てしばらくすると、短い高架になる。この仮高架との切替地点は、旧出村駅の跡地をうまく利用して取り付いていた。

鶴見を通過してしばらくすると、制限現示が。これは生麦手前まで続くかな、と思っていると、やはり生麦退避の普通によるものであった。それにしても、KQの運転士は現示をよく知っており、それまでは追随運転をしているのに生麦の下り本線場内が開通して後方が現示アップすると、即座にフルノッチを入れる。このあたり、JR西の運転士も見習ってもらいたいものだ。

生麦を通過してしばらくは快調に走るが、やがてまた下位現示が。Yが頻繁に見え、速度が上がらない。子安を通過し、新町が開通してやっと速度が上がる。仲木戸はホームが広くなっており、これで京浜東北が止まった時も少しはマシになりそうだ。

横浜に到着、ここからは正真正銘12年ぶりに乗る。が、なかなか発車しない。戸挟みかなにかで発車できないようだ。ドア閉めから30秒以上経過してようやく発車する。狭いところを無理な線形で抜けながら、平沼へ。これを抜けるとトンネルに入り、戸部、さらに急なカーブのトンネルを抜けて日の出町へ。みなとみらいから大して離れていないのに、山岳路線の雰囲気である。

日の出町から次の黄金町までの区間は、その昔東急こどもの国線をもじって、「京急大人の国線」などと言われたいわくつきの区間である。線路北側にはピンク色の照明が輝き、狭い2階建て店舗の前で女性が客引きをやっている、現代日本になんでこんなもんがあるんだ、というすごい風景が広がっていた。これはつい7年前まで続いていた。これが劇的な変化を遂げたのは今から5年前のことである。

「売買春」から「アート」へ、横浜・黄金町

南太田を抜けると、ようやく速度が上がる。が、井土ヶ谷の先でも大きなカーブがあり、京浜間のようにはいかない。上大岡の手前の高架区間でやっと全開に近い走りっぷりになるが、すぐに上大岡。ここもC-ATS導入のせいか、昔のように高速からのブレーキ一発停車という感じではなくなってしまった。

杉田のあたりは横浜以南では珍しい直線区間だが、ここは下り勾配の速度制限がある。かつては、そんなことはおかまいなしに120km/hオーバーまで加速する運転に出くわしたこともあるが、今はC-ATSで頭打ちだろう。

それにしても、12年ぶりに乗ったというのに沿線風景を良く覚えている。本当に細かいところをよく覚えている。能見台→文庫間のESSOのガソリンスタンドなど、使ったことも無いのに覚えている。通勤時は寝ているか夜だったので、それ以外で見た回数といえば知れている。それでもこれだけ覚えているのだからたいしたものだ。

金沢文庫に進入するときも、普通の鉄道会社と大して変わらない運転になってしまった。その昔、雨の日に下りの特急に乗っていると、文庫と八景2駅連続で過走したこともあった。金沢文庫では上りホームの拡幅工事が行われていた。朝ラッシュ時は当駅で4両増結するため、それを待つ人の列でホーム上に隙間が無かったものだが、少しはマシになったのだろうか。

八景を出て追浜、朝の上り特急はここで結構乗ってくるが乗車している快特は通過。ここからまたトンネルが多くなるが、線形は比較的マシなので飛ばす。田浦を出ると横須賀線と直交。同じ横須賀へ向かう路線なのに、直角に交差するところが不思議な気になる。トンネルの連続の合間は崖の途中だったりして安針塚、続いて急曲線上に無理矢理作ったような退避駅の逸見(へみ)。浦賀方の曲線分岐が厳しく、本線でもかなり減速する。ここから速度が上がり、汐入。休日にはショッパーズプラザ横須賀に行くのにこの駅を何度も利用した。ここの駅前には横須賀プリンスホテルがあったが、かなり前に撤退している*1

汐入の手前から下位信号現示を受ける。横須賀中央手前のトンネルでは、かなり長時間下位信号現示での走行を強いられる。これも帰宅時に何度も経験した。平日夕ラッシュ時は、逸見でウイング号を退避してから下り快特の前を走るダイヤだったため、横須賀中央手前で機外停止することもままあった。今日も注意信号で横須賀中央に到着する。左側に座っていた、ややヲタ分の高そうな人はここで降りていった。

横須賀中央の下りは、長らく客扱い終了の合図として「前方よし」「側面よし」が使われていた駅だが、ここも合図器によるものに変わってしまっている。この横須賀中央駅も何度と無く利用した思い入れのある駅なのだが、時間があまり無いので先を急ぐ。

次は京急安浦ではなくて、県立大学前。大学なんぞどこにあるんだ、という辺鄙な駅で、優等は通過。続いて堀ノ内となる。先行の普通が待っており、急いで乗り換える。

やっと浦賀に到着である。あまり広くないホームに、2000形車両が止まっている。12年前には、毎朝ここで7時発の品川行き2000形特急を待ったものだった。その奥に見える京急ストアの看板も、当時のままだ。だが、平日はこのKQストアの営業時間内に帰ってこれることなど殆どなく、ウイング品川内のKQストアが主な食料調達箇所だった。

ホームは変わっていなかったが、駅舎はバリアフリー工事が行われて結構変わってしまっている。トイレは工事途上で、仮設トイレが改札外に設置されている。改札を出て駅前を見下ろすと、懐かしい風景が広がっている。

だがしかし。あまりの変わって無さに驚く。駅を出て駅前広場に立つと、12年の経過などなかったかのような風景が広がっている。駅に向かって左側にあるセブンイレブン、文庫に25時に着く特急からタクシー帰宅する途中、ここで晩御飯を調達したこともあった。駅前を出て観音崎方向すぐのビルなども変わっていない。その横のタクシー営業所や横浜銀行なども、何一つ変わっていない。都心から1時間かかる距離が影響しているのか、なんんか昨日までいたかのような感覚がある。今から、すぐ生活できそうな錯覚すら覚える。

かつて住んでいた、東浦賀町方面へ歩いていく。この道幅や曲がり具合、そういったものまで克明に覚えている。通りにある1回だけ利用した1件の散発屋、中を覗き込むと店の主人がいるが、この人は12年前とあまりかわっていないように思える。その少し先にあったクリーニング屋はなくなってしまっている。ここに住んでいた当時、クリーニングを出したり取りに行ったりする時間的余裕が無く、夏場はよくスーツを自宅で洗っていた。

観音崎方向へ少し進むと、住友重機の工場の先で崖が海に迫り、道路が張り付くようになる。そして、住んでいたマンションが見えてくる。しかし、なんというか、懐かしいという感じがしない。周囲が殆ど変化していないので、先月までここにいたかのような感覚になってしまう。

マンションの正面まで来て見る。本当に、12年前と風景が変わっていない。ゴミ捨て場の感じや、玄関部なども記憶の中にあるそのままである。ふと、12年前、明日から新しい会社に出勤するという日の、なんとも言えない不安感を思い出す。

感慨はそのままに、来た道を引き返す。

*1:今はメルキュールホテルになっているようだ。今回調べて初めて知ったが、丹下健三の作である