自宅→明石→自宅(107km)

朝、8:00に起床する。朝食を食べて洗濯をするなど。

11:15に自宅を出て、北口で特急に乗り換え、さらに三ノ宮で新快速に乗り換える。新快速はほぼ満席だが、なんとか席を確保する。明石駅へ到着し、改札口へ向かっていると、友人と遭遇。一緒になって駅近くのホテルへ向かう。

学生時代に世話になった迷惑をかけ続けた教授の退官記念会。会場に着くと、65歳になる教授はまだまだ元気そうで、昔と変わらぬ風貌・語り口であった。図書館長時代に図書データベースを整備した話など、10年以上の前の話なのによく覚えていらっしゃる。本日参加予定の同級生の最後一人は、学生時代の遅刻癖が復活したのか開始5分前になってもやってこない。私は別の研究室に所属していたが、彼らは教授の研究室に所属していたので、かなり恩義があるはずだ。結局彼は、12:57頃にやってくる。

来賓の挨拶など。後期高齢者になるとかいう、我々が一年の時に授業を担当していた元教授のスピーチを聞いていると、あの最初の頃の授業を思い出す。そのほか、様々な人がスピーチするが、図書館長や寮務主事などいろいろな職を歴任してきただけあって、来賓の挨拶も様々な話題に及ぶ。文学にも造詣が深い、という話が出て、そういえば東京出張の折りには必ず神保町で古書を漁っていたとかいう話を思い出す。

乾杯後、歓談など。2年上の先輩(学籍番号はもっと上だったが..)と、諸先輩方の話題で盛り上がる。我々の上は変な先輩ばっかりだったし、そのうちの一人とはいまだに毎年夏と冬に有明で一緒になっている。東京からやってきた後輩と、業界談義など。これが終わったら直ぐに東京へ帰るとか。

英語の助教授と、昔話に花が咲く。体育の水泳の直後に英語の授業があり、眠くてしょうがなかった話などが出る。英語の授業、本質的な話よりもしょうもない語呂合わせと極端にアクセントを強調した発音ばかり覚えている。

長らく担任を務めてもらった教授にも挨拶。外見は少しコンパクトになったように見えるだけで、全然変わっていない。会話のペースがまったく変わっていない。そして、私だけ単独で研究室の指導教官のところへ挨拶に行く。論文締め切りの1週間前に境界条件の問題からハミング窓を急遽追加するなど、私もかなり「悪い子」であったような気がする。今思うと、もう少し真面目に研究していればよかったなあ、と思う。

式典は2時間で終了する。会費の割りに満足度は高かった。10年以上前のことが昨日のように思い出される。


式典終了後、まだちょっと話すか、ということで3人で明石駅前のミスドなどに行ってみる。が、やっぱり満席。ここのミスドはいつ行っても混んでる印象がある。スタバを覗いてみるが、ここも満席。駅構内の喫茶店に空席があったので、ここに入ることにする。私はホットコーヒーを頼んだが、友人2名はケーキセットを頼んでいる。

近況の報告と今後の対処など。予想されていたことだが、私は糾弾の集中砲火を浴びる。2時間近くトークを交わし、撤退する。

帰宅後、COWBOY BEBOPのCDをプレーヤーにセットし、"MEMORY"を聞いてみる。